”会社に雇われないで、パソコン一台で暮らす”

僕がボクシングを始めた理由・・・

 

ボクシング

男には暴力が必要不可欠!

僕は、以前書いていたブログでキックボクシングをやりたい!とずっと語っており、経済的な余裕が出てきたことから、2016年の2月からボクシングを始めました。(キックボクシングジムは近くになかった・・・)

まだ、2ヶ月しか経っていませんが、それなりに体の方も動くようになり、徐々に若かりし頃の体力(笑)を取り戻しつつあります。

日曜日を除く、週五日。

夕方の五時頃からジムに入り、腕立て、腹筋、背筋、スクワットを30回を三セット。

あとは、ボクシングの基本であるジャブとワンツーをメインとしたシャドーボクシングを10~15ラウンドほどやって!といった、結構ガチ目な感じのトレーニングです。

今日からは、バンテージを巻いて、本格的にリングに上がってのシャドーが始まりますが、今後もミット打ちやサンドバック打ち、スパーリングなど、キチンとした段階を踏んで、本気でプロ並みに強くなっていきたいと思います。

 

多分、以前から僕のブログを読んでいる人は、僕がボクシングを始めた!といったのは、健康を維持するため、体系を維持するため、等が理由だろうと思ったと思います。

僕は、アスリートを目指した人間でなく、商売をメインとした生き方をしている人間だからです。

ですが、僕がボクシングを始めた理由はそこではありません。

僕は男には、暴力というものが必要不可欠だと考えているからなのです。

なんだか、野蛮な感じがすると感じた人もいるかもしれません。

でも、どんな道を進むにしろ、僕は男は暴力が絶対に大事!だと信じて疑わないのです。

今日の記事では、その暴力が必要不可欠だと考える理由というものを語っていきたいと思います。

所詮、人間は動物である。

僕は建設業時代、鬼のように厳しい上司にどなられ、なじられ、侮辱される毎日を送っていました。

しかし、そんな激しい暴言を受け続けていたにも関わらず、何も出来ない自分に情けなさを感じ、一言も言い返せないような情弱極まりない男でした。

そして、弱い人間はしおらしくすることで、それなりに同情を引き、誰かが救ってくれるだろう。

そんな甘い、そしていじらしい計算をしていたと思っています。

 

すると、どうでしょう。

仕事が出来ないから、しおらしく!という形で誰かの助けを待っていた僕の目論見は大きく外れ、最初の頃、優しくしてくれていた周りの人間まで、僕をなじるようになってきました。

まるで、必要のないお荷物を見るような目です。

 

でも、僕はなおもこう考え続けます。

「なぜ?新入社員にここまで厳しくする?皆して弱い者いじめか!なぜ、誰も優しい手を差し伸べてくれない・・・」

弱い自分を一生懸命肯定しようとし、戦おうという考えをおこしません。

とにかく、その場から逃げることだけを考え、誰か助けて!誰か助けて!と、周りの誰かが自分を救ってくれることだけを考え続けます。

多分、社会人になったばかりの新入社員達は同じようなことを考える人は多いはずです。

 

結果的に悩みに悩んだ挙句の果てに、当時の僕はこう結論付けました。

『そうか!周りは全て敵なんだ・・・。誰もが自分のことしか考えていない。誰も助けてくれるものはいない。だから、やられる前にヤろう!』

周りに助けを求めても、何も解決しないし、誰も助けようとしない。

だから、戦う決心をしたのです。

それから、周りの人間をアテにすることを辞めました。

自分こそ全て、自分しか信じられない、人は必ず状況が少しでも変化すると裏切る!と理解して・・・。

すると、面白いように世界が変わり始めました。

それなりに周りの人間に重宝されるようになり、認められ、大体自分の思ったような方向に物事を進められる様になったのです。

だから、今の僕は自分の目で見たものしか信用しないし、自分が調べて、納得したことしか信用しません。

 

今の僕は、過去の苦い経験のおかげで成り立っているとは思っています。

支えてくれる人がいなければ、頑張って来れなかったので、今の僕が存在できているのは、友人や家族、過去に僕を鍛えてくれた会社の上司や先輩のおかげでしょう。

当然のごとく、今いる周りの人達には感謝しまくっています。

でも、根本的には、自分が強くなければ、社会では弾かれる、食われると考えているのです。

るろうに剣心で言うところの、志々雄真に一票投じたいところですね。笑

 

カッコつけるつもりはありません。

綺麗ごとを言うつもりもありません。

結局の所、人間は、動物なので、闘争本能が組み込まれているので、戦う必要があるのです。

だからこそ、自分しか信用する必要は無いと思います。

どこか、他人を疑ったほうがいいと思うわけです。

 

そうなると、とてもシンプルにこういった結論が出ると思います。

 

『肉体、知能、精神、全て徹底的に鍛えるべき!』

 

現代社会は、恐らくもっとも知能と精神が求められるでしょう。

賢い選択で、賢い判断をし、賢い行動をする。

ただの馬鹿は、「考えられる」という神様がくれた人間だけのプレゼントを放棄して、怠惰な生き方をしているだけです。

頭が良い、悪いではなく、とにかくひたすら考える。

これにより経験値が溜まっていくので、どんなに地頭が悪くてもそれなりの思考能力がついてきます。

そして、それら全てを健全な心でまっとうしなければなりません。

人に優しくとか、人に気分が良くなるような心配りとか、当たり前の正義でもって行動しなければ、どうせ全ての物事は破綻をきたすと決っているからです。

 

まぁ、凄く当たり前のことを言っていますし、多少の反論というか、気になった部分がある方もいらっしゃるかもしれませんが、一番言いたいことは上記のことではありません。

僕が一番言いたいのは、肉体的強さです。

 

今の時代であれば、実際の所肉体的強さはあまり生きる上で必要ありません。

喧嘩して、相手を怪我させると、警察に捕まるし、普通に会社員としてサラリーマンをしていれば、肉体的暴力なんてものはもっての他だからです。

だから、皆肉体をあまり鍛えない!

ちょっと体を動かせばいいや。という気持ちで、戦える肉体にまで成長させようとしないのです。

 

でも、先ほども述べてきたように、結局、人間は社会に出れば回りは皆敵です。

大抵の人間は、極限状態になったら裏切るし、まず弱い者から、様々な形に形態を変え、不利益を講じます。

なんて言えば良いんですかね・・・

弱いと、いじめられたり、皆がやりたがらない雑務仕事ばかりを与えられたり、笑いものにされたりと、とにかく得があまりなくなるんですよ。

皆が皆、しっかりとした考えの持ち主で、本当の意味で成長させてくれようと、試練を与えてくれているのならありがたいんですがね。

そんな立派な人間は中々見つかりませんから!

大抵、何も考えずに、無意識レベルで、弱い人間というのは淘汰されていきます。

肉体が強いことで、得られるメリットの大きさは計り知れない。

じゃあ、なんでそれが肉体的強さと関係があるか?というと、暴力という背景を匂わせることの出来る人間は、基本的に舐められにくいからです。

僕は物凄いハイレベルな連中の話をしているのではありません。

いくら暴力的匂いを漂わせていても、全く屈しない人もいますから、そんな連中にはあまり関係無い話だとは思います。

彼らは、そういった次元ではない世界で、物事を見ているでしょうから。

でも、通常の普通企業で働くレベルにおいては、仕事の結果などにも、かなりの好影響を与えてくれます。

 

例えば、商談。

商談の際、ガッツリとした物言いが出来ない、喧嘩できない人間が、商談の場に立ったときはその商談のメリット、デメリットは抜きにして、上手くいかないことが多いです。

相手は、自分のことを舐めてきますし、コイツになら、ここまでねじ込んでも大丈夫そうだ!とか、自社に有利な展開を進めてこようとするからです。

多分、営業なんかやっている人は良く分かるんじゃないですか?コイツは組み易し!と大体最初の見た目で、いけそうな人間かどうか?判定できるはずです。

日本人特有の一歩引いた、相手を尊重した形で友好的な関係を築こうとした結果、不利益をこうむることは良くある話ではないでしょうか?

 

対外的話ではなく、職場内ではどうでしょうか?

僕が先ほどから話しているように、新人は右も左も分かっていないのだから、当然、社内では一番弱い。

でも、暴力的背景を匂わす奴!ってのは、なぜか信頼されることが多いです。

なんとなく、頼りになる。

なんとなく、仕事を乗り越えてくれそう。

そんな期待感を感じさせるからです。

窓際社員的、おじさんに肉体的強さを感じたことは一度もありません。

恐らく、仕事が出来るな~と感じる人は、それなりに肉体的強さも見えると思います。

 

当然、頭が悪く、間違った方向性での精神的強さを持っている奴の話をしているのではありません。

ただ、暴力だけに任せた強さというのは、何の価値もありませんから。

これはあくまで、肉体的強さがあった方が、圧倒的にメリットが大きいという話をしているだけなのです。

人は、誰かと話をする際に、必ずその人間の背景を思い浮かべながら話をしています。

この人とこういう話をしたら、こういう反応が返ってくるだろうな!

この人にこんなことを言ったら、こうされるかもしれない!

そんな、目に見えない自分の後ろの背景が、相手の対応を変えさせます。

 

典型的な例を挙げれば、やはりヤクザさん達は最強でしょう。

意味の分からない物言いを、いとも簡単にその背景から通してしまいます。

だって、やっぱり怖いじゃないですか。

殴られるかもしれない恐怖、殺されるかもしれない恐怖は、いとも簡単に人の思考を狂わせてくれます。

でも、善悪抜きにして、彼らは賢いと思います。

男は暴力に一番屈しやすいと、ちゃんと理解して、それを最大限利用しているのですから。

 

でも、程度に差はあれど、企業も同じですからね。

何度も言っているように、暴力を持っている奴の方が、持っていない奴に比べて自分を通しやすくなる。

いくら、頭が良くても、いくら人間が出来ていても、どこか心細さを感じさせる人間というのは、暴力の匂いが一切感じられないんです。

 

みんな社会人になると、それなりに賢くなっていくし、大人的対応力、大人的優しさを持ち合わせるようになります。

けど、本当に大変な事態になったら、いとも簡単に動物に戻りますからね。

めちゃくちゃ精神を鍛え抜いてきた人間なら別ですが、大抵の一般人は、すぐに感情だけで動く、動物に戻ります。

ここで大事になるのが、人間というか、動物の根本である、強さなワケですよ。

マコトさんがおしゃる、弱肉強食の世界なワケです。

 

だから、僕は体を鍛えるのです。

喧嘩ができる肉体を手に入れようと考えるのです。

今までの苦しい経験の中で、最後の砦となってくれるのは、肉体的強さ、そして暴力性だと理解しているから。

普通に会社に勤めていれば、精神と知能は鍛えられると思います。

でも、肉体、あるいは闘争本能は中々鍛えられない方も多いはずです。

もし、自分の中に物事を思い通りに運べない弱さ、ここぞ!という時に引いてしまう弱さを感じる方がいれば、何らかの形で、格闘技を習ってみてはいかがでしょうか?

自分の中に暴力を飼うということは、厳しい社会を生き抜く上ではとてもお役に立つと思いますよ。

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