”会社に雇われないで、パソコン一台で暮らす”

自分で考えることが出来ないというのは勿体無い!

 

自分の頭で考える

『考える』とは意見を持つこと!正解かどうか?は一切関係ない!

最近、なんだか急に「右翼」とか、「左翼」に関して勉強しだしました。笑

理由は政治に関して学びたいと考えたからです。

僕は、何でもそうですが、政治に関しても全くの無知です。

でも、それでは国の行く末とか先読みできないでしょうし、選挙一つとっても、誰に投票していいものか?何も判断できずにマーケティング戦略に踊らされた投票を行ってしまうでしょう。

だから、政治に対してちょっとでも理解を深め、世の中の動きに興味を持ち、意見を言えるようになりたいと考えました。

 

ちなみに、「右翼」とか「左翼」とか勉強し出した理由は、政治を理解するには『思想』という根っこを押さえなければ、政治家が打ち出す理念や構想を理解できないと思ったからです。

ほら、自民党はどんな考えで国を治めようとしているのか?どんな思想を元に、この行為を行っているのか?社会党は?共産党は?って、すぐに答えられないじゃないですか?(答えられる人もいっぱいいるでしょうけど・・・)

勿論、実益的面で理解できる部分はあるのですが、それでも物事は俯瞰的な面で見つめないと、判断を見誤ることが多いので、そもそもの根源を知ることにしたワケです。

まぁ、今日の記事は、そんな「右翼」とか、「左翼」に関しての意見を言うつもりはサラサラありません。

ただ、自分が全く知識がない分野を勉強するに辺り、ふと、昔の新入社員時代を思い出したのです。

自分で考える!という行為を理解できず、何に対しても右へ倣えだったアホな自分を・・・。

今日は、そんなアホだった自分を省みて、「自分で考える」という行為を放棄することの愚かさ、勿体無さというものを書き綴ってみたいと思います。

仕事は教えてもらえて当たり前!という考え方。

僕は、最初、仕事の中で「自分で考える!」という行為が全く理解出来ませんでした。

「こういう仕事があり、こういうやり方でやればいいんだよ!」

そういった形で、仕事というものは教えてもらえると思っていたのです。

でも、現実問題、仕事を教えてくれる人なんて誰もいませんでした。

「自分でよく考えろよ!お前は何がしたいんだ!」

意味不な行動をしてしまい、よく上司に怒られたものです。

だから仕方無く、自分で考える・・・

でも、考えるって何を?そもそも何をやるのが仕事という行為なの?自分で考えるって何?

最初の頃、全くもって考えるという行為そのものが理解できませんでした。

 

そもそも、学校では、全て「課題」と「答え」というものが与えられます。

「こういう課題があるから、こういう風にやれば答えが出せるよ!」

これが、現代の教育であり、頭を全く使わない仕事しか出来ない人間を大量に生み出す結果となっている根源だと思っています。

その与えられる課題というのが、そもそも不味いです。

最初に目的があって、その目的を達成するために課題や問題点というものが見えてくるのであって、それを解決しようとする力をいくら身につけようと、自分で課題や目的を見つけられない限り、使いようがないのだと思うのです。

だから、僕のようなアホ人間が生まれました。

考える!という行為そのものに疑問が生じだしたのです。

 

で、最終的に悩みに悩んだ挙句、僕が出した答えは、「自分で考えるということは、間違ってても良いから、その物事に対しての意見を持つこと!」という考え方でした。

大学卒業したての僕は、社会にも正解があるって信じて疑わなかったんですよね。

さっきも言った学校の教育のせいでもあると思うのですが・・・、だから、「間違ってても良いから、自分の意見を持つこと!」という答えを出すのは、とても苦労しました。

仕事とは何か?という定義をするのに、答えは要らないのです。

僕は、勝手に仕事とは価値の提供だ!という定義をしていますが、これも実際は一つの意見・・・

仕事は食べていくためのもの!という定義を答えにしてもいいし、仕事は自らを成長させる修行の場!と定義してもいいのです。

この、「自分の意見で勝手に物事を決め付けていい!」という考え方が、僕に「自分で考える!」という行為を教えてくれたように思います。

 

自分の意見で勝手に物事を決め付けていい!とは言いましたが、「自分の意見を持つ!」という行為には、やはりその物事に対して、自ら知見を深め、過去の経験や道徳観、価値観などを総合的に含めた形でしか、答えは出せないと思います。

例えば、美容師の仕事をしていて、その人が、美容師はお客様の笑顔を創出するのが、美容師という仕事の定義だと考えたとすると、そのために、髪を切る技術を最大限に磨くことが最良の方法か、お店の雰囲気を最大限にオシャレにするのが最良の方法か、髪質を傷めないようにトリートメントなどの他のオプションを増やすことが最良の方法か?等、様々な答えを出せると思います。

最終的に、目的がお客様の笑顔の創出なワケですから、何も髪型だけをお気に入りのものにするだけが全てでは無いはずだからです。

 

でも、その目標を達成する方法を導き出すのには身をもって勉強したり、体験したり、他店を視察してみたりすることが必須ですよね?

そうでなければ、「お客様の笑顔を創出する」という目標を絶対に達成できるか?分からないからです。

 

これが、「自分で考えること!」だと思います。

例を見ていただければ分かるように、正解も無いし、意見を出そうとしたら、それなりに勉強しなければ出せないことなので、結果としてそれなりにまとまった答えになるはずです。

経営者の人を例に出してしまったので、会社員の人はピンとこないかもしれないかもしれませんが、会社員であろうが、経営者であろうが、結論は一緒だと思います。

自分で勝手に、その仕事の意味は?やる必要があるのか?どうやったら上手くいくのか?どうやったら効率化できるのか?などと問いかけて、勉強しながら理解を深めて、定義つける!

ここに、完璧な正解などありません。

学校じゃないのです。

最終的にいい結果が出た!ならば、例え、あなたより何十年も仕事をやってきた上司が反対したとしても、その意見は正しかったことになります。

 

だから、何も恐れる必要はありません。

最初は、ショボイ意見しか導き出せないでしょうが、その意見を人にぶつける内に、相手から様々な反応が返ってきて、それを元にまた新しくブラッシュアップされた意見が導き出せるようになってきます。

人からの批判を恐れて、意見を出さないようになると、益々、自分で考えるという行為が出来なくなり、最終的に人に頼りっきりの自立出来ない人間が出来上がってしまいます。

特に、若いうちしか、恥ずかしい意見は出しにくいので、早い段階でいっぱい幼稚な意見を出しまくって、潰されまくって、『筋道の立った意見の立て方』というものを身に着けた方が良いと思います。

あっ、あと、意見を持てたかどうか?ある程度勉強した後に紙に書き出した方が良いですよ。

なんとなく分かったつもりになってて、実際は意見を持てるほど理解していなかったというのはよくあることです。

自分で考えることが出来ない人間ほど、扱い易い人種はいない!

とても、残念な話ですが、自分の頭で物事を考えられない人間というのは、考えられる人間からすれば絶好のカモです。

嫌な仕事、面倒臭い仕事、自分への賛同を得るための支持者、ストレスのはけ口、困ったときだけの相談役、など、面白いように素直に従ってくれるので、何でも便利なように利用されて、それで終わってしまいます。

運よく徳のある人と付き合えれば、あまり不利益は被らないかもしれませんよ?

でも、カス野郎は、所詮どこまで言ってもカスですからね。

利用するだけ利用しといて、最後は「お前が成長しなかったのが悪い!」と言って、ポーイっと、捨て去っちゃいます。

 

僕の建設業時代の同期がそうでした。

散々雑用でこき使っておいて、最後の最後は「ぽーい!」

丁寧に、仕事を教えるわけでもなく、優しい言葉を掛けるでもない・・・

基本、雑用とかばっかり振られまくったりする人ってのは、自分の意見を持てていないんですよね。

だから、何か言われても断れないし、言い返せない。

 

昔は、それでも年功序列で歳さえ食っていけば、自然と給料も上がって、我慢することの憂き目も見れたことでしょう。

実際、全く仕事が出来ない60歳くらいの上司もいましたが、彼らはかなりの給料取りでした。

でも、これからは?

きちんとした意見、社会的に認められる思考を自分で出来るようにならなければ、損な役割だけでなく、給料自体にも影響が与えられてくることが予想されます。

つまり、”こなす”だけのマニュアル人間は必要がなくなるという事です。

以前の記事でも書いた、ロボットの題等、外国人労働者の流入などがこれを増長させると思います。

『自分には考える能力が無いから我慢!』的な考えは今すぐ捨てて、「自分の考える」能力を努力で成長させていきましょう。

意見は、部分的に!ではなく、全体的に!根拠は、感覚的ではなく、絶対的に!

僕は意見は勝手に定義付けて良いし、正解じゃなくて良い!とは言いました。

そして、若いうちしか、恥ずかしい意見は出しにくいので、幼稚でもいいから自分の意見を出せ!とも。

でも、やっぱり、恥ずかしい意見なんかは誰もが出したくないところだと思います。

だって、ショボイ意見なんか出して、笑われると自分の思考そのものが疑わしくなって、自信を失っちゃいますからね。

 

ですから、僕なりの深さを極めた意見の出し方、人を説得させるに足る、意見の導き方!というものをお伝えしたいと思います。

とても時間が掛かりますし、面倒な考え方ですが、手戻りをすることなく、後々仕事が楽になってくる考え方なので、是非、「自分で考えるのが苦手」だという方は参考にしてみてください。

最初は大儀を理解すべき!

どうしても、人は目の前のことばかりに気を取られ、その問題解決ばかりに全力を注ごうとしまいがちな生き物だと思います。

よく僕が例に出す、橋を作るときなんかがいい証拠!

道路の橋なんかを作る際は、橋を支える橋台(きょうだい)を二つ、最初に作らなければなりませんね?

でも、その橋台一つに気を取られて、もう一方の橋台との兼ね合いを考えていなければ大変なことになります。

最終的に橋台が出来上がって、いざ橋を掛けようと思ったとき、橋台間の長さが足りなかったり、長すぎたりして、実際に橋を掛けられないことなんかがあるからです。

折角、何千万ものお金をつぎ込んで作り上げた橋台が、最終的に失敗したものだと分かれば、それは全て取り壊さなければなりません。

だから、実際に橋台を作り上げる時は、橋台と橋台の橋長間(きょうちょうかん)を常に計測しながら構築していきます。

 

なんか、知っていてしまえば、大したことないもの!じゃあ、そうすればいいじゃん!って思いますよね?

でも、橋作りを始めてやる人間はどうでしょうか?

本当に一つの橋台を作るのには大変な手間と労力が掛かります。

何もない土地を掘削して、基礎を作り、位置を出し、鉄筋を組んで、型枠組んで、コンクリートを打ち、足場を組んで、また鉄筋を追加して、型枠組んで・・・・

もう、一つの構造物を作り上げるのに必死になるのです。

周りがどうだとか、気にする余裕は一切なく、もう一方の橋台の兼ね合いなど忘れてしまうくらい・・・

 

まっ、その辺のことは、ベテラン上司達は嫌というほど理解しているので、若手達に耳にタコが出来るほど教えてきますから、失敗はありませんでした。

ただ、この例を出したのは、他の物事全般において考えられるからです。

会社の経営理念、社是、社訓などは、組織の一員として在籍する限り、必ずといって良いほど抑えなければなりません。

なぜなら、それを行うことが、その会社で働かせてもらえる責務だから。

いくら自分が最高に面白い企画を考え、かなりの利益を会社に与えそうだ!と思えても、経営理念や社是とかけ離れたものでしたら、意味を成さなくなるでしょう。

それが雇われている人間の制限です。

もし、自分の考えがとても優秀で、でも、それが会社に受け入れられないとしたら、自分でビジネスをするしか仕方がないでしょう。

僕は、会社という組織そのものの考え方が嫌いになったので、自分でやっているワケです。

 

また、何らかのプロジェクトが発足したとして、あなたがその一部分の重要な役割を与えられたとします。

そして、その役割を最大限に効果があるものに仕上げられた、結果が残せたと仮定しましょう。

でも、そのプロジェクト自体の方向性が悪かったら?

よく、アフィリエイトであるあるの話なのですが、頑張って記事を書きまくって、カッコいいデザインにして、読者が喜びそうな商品を紹介した後、実はそのジャンルは、あまり稼げないジャンルで、広告主も撤退しやすかった(代わりの広告主がいなかった)なんてもんがあります。

一生懸命努力したのは良いですが、結果を残せないのならその過程は、僕は全く無駄だと考えていますので、意味がなかった努力と言ってしまいます。

だから、プロジェクト自体が本当に必要な仕事なのか?それをやることに意味があるのか?は必ず最初に始める段階で、その仕事の責任者でなくても考えるべきだと思います。

個人の仕事も同様ですね。

 

つまり、何かしら物事をやろうとする際は、その行動に対するバックグランド、大儀的なものをとても重要視するのが大切だと思うのです。

ここを踏み外した意見というものは、とても浅はかで幼稚なものに思われて、すぐに馬鹿だと思われやすくなります。

よく、「イニシアチブ」とか、「サマリー」とか、「イシュー」とかカタカナビジネス用語をそういう言葉を知っていなそうな人に向けて、流暢(りゅうちょう)に話す人間がいますが、かなり嫌いな人種です。笑

「日本語で言えよ!意味あるのか!それ?知らない人間は理解が遅れるだろ!」

って僕は思います。

(※記事書いてて思ったのは、僕も、コンテンツとか、アウトプットとか意識しないで使っていたようです。申し訳ありません・・・。入社当時からそれで教えられてきた人は、意識せずに使っちゃいますね。)

何で、こんな意見を書いたかというと、そういうカッコつけた言い方をする人間に限って、最も大事な部分を外して、余計な部分ばっかりに気をつけるからです。

この会社ではこういうやり方が主流なんだ!

普通はこう考えるけどね!

みんな参加するんだよ!

あぁ、うぜぇ!お前は、ただ皆と同じようにしていたいだけだろう?仲間はずれにされたくないんだろう?

そう思ってしまいます。

 

それっぽい意見でなく、部分的な面を見つめたものでなく、大きな視野で見たときの、最も重要視される点を踏まえた意見を生み出す!

これが、本当に自分にも、組織にも役に立つ意見の出し方ではないでしょうか?

もし、何かしらの行動をやろうと思ったとき、あるいは与えられたとき、その物事に対する大儀は何か?必要性はあるのか?よくよく自分自身に問いかけて、本当に納得できる中身なのか?の根源を探してみてください。

そして、そこから逆算した形での自分の意見を導き出しましょう。

土台がどっしりした意見ほど、そう簡単には崩れないはずです。

誰もが納得しそうな根拠はどう作り出すか?

社会人を経験してきた中で僕が一番面倒くさいな・・・と思ったのが、外部的にも、内部的にも根拠のある説明が必要なことです。

もう、自分では過去の失敗や経験から、この方法しか答えはない!と理解しているのですが、それを実行していない人間に対しては、理解してもらうための説明をしなければなりません。

そして、その行動に導かれている根拠というものをしつこく聞かれるものです。

まぁ、管理職的仕事を僕がしていたということもあって、通常の仕事より説明を多くしなければならなかったというのは仕方がないのですが、本当嫌でした。

でも、その面倒臭い仕事がやっぱり後になって生きてきたのも事実!

アフィリエイトで、早い段階で人に商品を売るための理屈付けがそれなりに上手に出来たように思います。

 

では、根拠というものはどのようにして導くのでしょうか?

僕の場合は以下のようなものです。

  • 論文・設計要領
  • 権威ある人間
  • 学門的観点
  • 数冊の本で一致した意見
  • 体験談

実は、根拠というものは、相手によって効くか?効かないか?が大きく分かれてしまいます。

例えば、お堅い役所相手に、自分の体験談を根拠として語っても、全く相手にされず、論文や設計要領などを用いて説明した瞬間、納得するということはよくあります。

また、権威に弱い人間に対しては最も効果があるのは、権威ある人間がこう言っていたから!という根拠であったり、その人が知っている分野での学問話を交えて説明すると、本当は良く分かっていないのに一発で納得する!とかもありますね。

だから、僕が根拠を説明しろ!と言われたとき、あるいは相手が納得してくれなそうな時は、その人が信用していそうな分野の根拠から引っ張ってきた答えを根拠として提示します。

 

でも、今の僕がやっている自分なりの意見を導き出す上での根拠は、『数冊の本で一致した意見』を基本としますね。

実際の自分の仕事分野でなければ、そこまで、突っ込んだ内容というのは理解する必要がないですし、大枠を理解して、自分が信憑性を感じればそれで良いと思っています。

政治系の分野の本は、面白いですよ(^ ^)

めっちゃ偏った意見の本が沢山あって、自分の考え方がさぞ絶対であるように信憑性をもって書いてあるので、どれも正しいように思えてくるのです。

これも、自分の判断基準が明確に決まっていないから!に他なりませんが、純粋な自分の意見を算出するのに、とても苦労してしまいます。

でも、こういった複雑な問題(思想とか、現実的問題とか、対外的問題とか)が入り混じったような分野(?)に対して意見を持つということは新しい知識を仕入れることになりますし、新しい考え方が生まれてきます。

表面的にしか、政治を理解できていない方は、深く潜ってみるのも面白いのではないでしょうか?

 

すみません。

話が逸れました。

つまり、根拠はどう作り出すか?という話ですが、その場所場所で、根拠の信憑性というものが変わっちゃうので、まず、その環境での根拠として最も信頼性が高いとされているものは何か?を見つけ出して欲しいということです。

さっきも言ったように、技術者なら設計要領、研究者なら認められている論文、実験結果、営業なら過去の似たような商品の実績数字、マーケティング企画なら、実際に結果を残した企業の戦略方法、工場や職人なら、ベテランの○○さん・・・どんな場所であっても必ず皆が認めているような信頼に足る物があるはずです。

これを考慮した上での、自分の意見!というのは通り易くなるし、筋が通っているように感じられます。

上司に、「なぜ?そうなんだ?なぜ?なぜ?」というなぜ?なぜ?攻撃を受ける人は、その環境の場で信頼される根拠というものが分かっていないんですよ。

だから、自分なりにはちゃんとした理屈を話しているつもりなのに、受け入れてもらえない。

よく、周りの人の言動に注意してみて、彼らが物事の決断をする際にどこに信頼をおいているか?を探してみてください。

想像力が高ければ、可能性は無限大に広がっていく!

さて、ちょと堅苦しい話をしてしまいましたが、あくまでも会社という組織の中で縛られた際の「意見を生み出す!(自分で考える)」でした。

あまり楽しいものではなく、慣れるまでは相当な努力が必要だと思います。

でも、そんな先には楽しい「自分の意向に沿ったクリエイティブな仕事」が待っています。(^  ^)

それが、仕事を楽しめるようになる秘訣だと僕は思っています。

 

僕らは、普段から白昼夢と現実の世界を行き来しているとされているのですが、(あなたも起きている時にあり得ないような妄想を沢山しますよね?)その白昼夢が高いレベルであれば、高いレベルであるほど、実現できる可能性というものも無限大に広がっていくと考えられないでしょうか?

学生時代というのは、多くの人があり得ないような妄想をしては、本当にそのまま妄想で終わってしまうことがほとんどです。

なにせ、それを実現に至らしめるだけの、「自分で考える」が中々出来ないわけですからね。

だから、本当の意味で現実から目を背けた「白昼夢」しか想像出来ないのです。

でも、それなりに難しい仕事をこなしてきた、自分の意見を出して考えてきた人間だったら、より現実的に実現可能な白昼夢が見えるはずなんです。

 

この段階になったら、とても仕事が楽しくなると思います。

外部からホンの少し刺激を貰うと、「こんな考えの事柄は実現出来ないかな?」、「こんなやり方だったら、仕事が面白くならないかな?」といった、自分の意向に沿ったクリエイティブな仕事が出来るようになると思うのです。

そして、大きな視野で物事を見てきた人間であればあるほど、その成し遂げようとする物事のスケールはとてつもなく大きくなる!

(ちょっと昨日の記事に似ていますね。笑)

だから、自分で物事を考えることが出来ないという人間でずっと来ちゃうと、とっても仕事がつまらない物になると思うんです。

 

本当に、自分で考える、意見を持つということは意識して行ったほうが良いように思います。

じゃないと、いつまで経っても自分が主役に立った事柄は成し遂げられないでしょう?

しかも、意見持っていない人と仕事すると大層落胆されますよ。

全然頼りにならないし、仕事を任せたくありませんから・・・

まとめ!

意見を持てるようになる!ということが考えるということ。

意見を言えるかどうか?自分で紙に書き出したりしてみて、書けなかったら勉強が足りていないということ。

意見は、部分的でなく全体を見据えた上での意見を出すこと。

その意見に対する根拠は、在籍している環境によって変化するということ。

現実味を帯びた意見を言えるようになったら、大きな想像でクリエイティブな仕事を楽しんで欲しいということ。

 

以上が、僕なりの『自分で考える』という行為に対して意識している考え方です。

なんだか、抽象的内容であり、冷静に見返したら「何言ってんだ俺!」とも思いましたが、自分で考えることが出来ないという人に、少しでも参考になればと思います。

ダラダラと長い文章!

読んでくださった方はありがとうございました。笑

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