なぜ?お金の教育を行わないのか?
社会で役に立つ教育を政府が行わないワケとは?
僕はかねてから、疑問に思っていたことがあります。
それが、
「何ゆえ、学校の教育では社会に出てから役に立つような教育を行わないのか?」
ということです。
学生時代、親にこのようなことを言わなかったでしょうか?
「宿題終わったの?勉強しなくていいの?」
そう、僕達は、勉強しさえすればいい・・・
そんな教育ばかりを受けてきました。
しかし、現実的に社会に出てからというもの、学校で学んだことというのは、ほぼ役に立ちません。
本当に役に立ったことと言えば、文字を理解する国語と、数学、その他実用的な保健や裁縫、道徳などくらいではないでしょうか?
にも、関わらず、最も心身の成長に影響を及ぼす学生の頃の『学び』の大半が社会で利用されていない。
これでは、全くもって勉強する意味がない・・・
「あぁ、勉強しておいて良かった・・・」
なんて思えるのは、単なる暗記である学校の勉強で、しっかりとした点数を取り、試験を合格していった者達だけであると予想されます。
なぜなら、いい大学に入って、いい会社に就職すれば、恵まれた環境を築きやすいから!
これでは、何のための勉強であるか、全く意味が分からない!
どうせ学ぶなら、お金の話、心理学、この社会の仕組み、政治(単語の意味を覚えるのではなく、政治家がどういった思想でどう行動しようとしているのか?など)、歴史(過去の過ちなどからどのようなパターンがあるか?どう考えるのか?など)、職業の種類などといったものを学ばせてくれたほうが、よっぽど役に立ちます。
それは、社会に出た人であれば誰でも感じていることではないですか?
しかし、現実は、僕が最初に述べた、社会では役に立ちそうにないものがほとんど・・・(学者や研究者、特殊な人々は除く)
これは何故なんでしょうか?
説明しきれない!
まず、第一の可能性として挙げられるのは、ココでしょう。
学校の先生でも、社会に役に立つものが説明しきれない!
自分で理解していないようなことを子供達に教えることなどできるはずもありません。
そして、物事の捉え方は千差万別であり、立場などで大きく考え方が異なってしまうから!というものがあります。
実際、大人になった今でも、何を基準に物事を判断していけばいいのか?
何が最も幸せな暮らし方であり、何がもっとも、自分を満たしてくれるのか?は言い表すことが出来ません。
つまりは、大人になってすらも僕達は何も学びきれていないのです。
答えを出し切れていないのです。
学校というものは、試験というものがあります。
ここでは、完璧な『答え』というものが求められる・・・
その世界では、不確実性、人により、異なる『答え』というものが邪魔なのです。
だから、教育の一環として、本当に社会に出て役に立つことというのは、誰も教えてくれない。
仮に、一人の人間が自分なりの解釈で物事の判断基準を教えようとしたら、クラスごとでその思考はバラバラのものとなってしまうでしょう。
しかしながらです!
僕が思うのは、『社会に出たら答えというものはないんだ!』
ということくらい、一貫して教えてあげてもいいような気がします。
答えのある問題、大いに結構、決められた課題をこなす。大いに結構・・・
でも、実際の社会では、
「そんなものは役に立たないよ!本当は、自分で目標や課題というものを見つけ、それに対しての問題解決を行っていく必要があるんだよ!この世に答えというものは本当は存在しないんだよ!」
それくらいのことは教えてくれてもいいと思うんです。
まぁ、学生の頃の自分がそんな親切な大人の言葉に従って、自分で勉強していこうなどという考えをおこすとは思いませんが・・・笑
この世の真理を教えると、困る!
あと、これが一番の理由な気がするんですが、この世の中の真理的部分を教えちゃうと、今現在高い地位に立っている人間は困るんだと思います。
例えば、お金の話です。
最近、僕がお金の話ばかりしていますが、それでもなお、未だにお金について考えられない人は多いはずです。
とっても、理解しやすいお話として、お金の価値の話があります。
元々、人間は物々交換によって、自分が必要なものと、余りあるものを交換して、手にしたいものを手にしてきました。
しかし、それではあまりにも荷物が重なったり、不便であるという理由から、金や銀などといった価値あるものと対価として交換するようになりました。
でも、それでも金や銀を直接交換することは重いので不便である・・・
ですから、最後に紙幣というものを使って、価値を図るバロメーターを作り上げたのです。
ここに必要なのは、何度かお話しているように『信用』です。
みんなが、『お金には価値がある』こう思っていなければ意味がありません。
もし、誰もがそのお金というものに価値があると判断しなくなれば、ただの紙切れに戻ってしまうからです。
で、ここで、お金は信用というものだけで成り立っているということを教えれば、もしかしたら賢い子供達は、お金というものに価値を感じられなくなるかもしれない。
みんながみんな、お金についての本当の意味を知ってしまうと現在出回っている紙幣というものは、ただの紙切れとなってしまう可能性があるのです。
無論、これは暴論であることはよくよく理解しております。
しかし、こういった物事全般において、本質を教えようとしてしまうと、みんなの考えが四方八方へ散ってしまい、それぞれ足並みのそろった考え方が出来なくなり、社会全体が崩壊してしまいます。
これでは、この社会を作り上げている高い地位に立っている人達はとても困ってしまうでしょう。
勿論、僕ら自体も、最終的には困ってしまいますが・・・
ということは、僕らは一種の刷り込みというものが行われているということに気が付かなければいけないと思います。
最終的に、政府が与える教育というのはちゃんと出来ており、これが社会という大きな組織の根源を支えているのです。
だから、今の教育方針を変えるという事は絶対にあり得ないでしょう。
それ自体を変えてしまい、自由な発想を持ってみんながみんなバラバラの思考をするようになってしまっては、収拾が付かなくなってしまうからです。
結局何が言いたいの?
お前の話していることは分かったけど、結局何が言いたいんだ?みなさん、そう思ったことと思います。
最終的に僕が言いたいのは、こういうことです。
「みんなが足並み揃えようとしているからこそ、みんなと違う考えを学んでいけば、一人勝ちできんじゃないの?」
ということです。
結構ゲスい考えですが、社会の仕組みや、教育に全て『yes』で答えるのは愚かな判断を下しやすいということです。
それよりも、哲学や歴史を学びましょう。
そちらの方が、妙な決まりに流されること無く、適切な判断を自分で下せるようになります。
最近、世界三大投資家のジム・ロジャーズ氏、ウォーレン・バフェット氏、ジョージ・ソロス氏の本を買い集めて読んでいるのですが、どの人達も哲学や歴史を学んでいるんですね。
そして、それが最も大事なこと!とおっしゃっています。
過去の歴史から、今後を予測し、哲学をもってして、人間のあるべき姿、あろうとすべき姿を学べるでしょう。
そうすれば、自分の進む道に対して大きな不安もなくなると思うんです。
で、多分ですが、僕がこんな話をしたところで、誰も勉強なんてしようとは思わないと思います。
途方もない世界を勉強し、それを理解しようという試みなのですから。
十分、今だけの知識で食べてはいけるでしょう。
でもです。
だからこそ、時間をかけて自分で理解しようと勉強を続けるべきです。
学校でも、世の中の真理的ものを教えようとはしない、社会に出ても自らその世界を理解しようとしない・・・
つまり、誰もが理解しようとしないのだから、それこそ、自分だけ勉強していけば、少しの勉強で物凄く差が付けられる!ということに他なりません。
一人勝ちするとは、まさにこのようなことでしょう。
今やっている仕事を否定するワケでもありませんが、自分で社会の仕組みを理解し、過去の歴史を振り返り、人間の根本思想を学んでおけば、後々、世界が混乱したときにでも自分がどう動くべきかは考えやすくなるでしょう。
・・・・最近、同じような話ばかりしてしまって申し訳ないのですが、やっぱり一番伝えたいこと、一番考えて欲しいことだと思っているので、このような話をしてしまいました。
是非、歴史や哲学にも深い関心を抱いて、勉強を深めていって欲しいと思います。
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