”会社に雇われないで、パソコン一台で暮らす”

会社の解雇は至極当然のことである!

   2016/06/04

解雇

会社は解雇をするな!経営者は責任をとれ!とか、ダサすぎる!

最近、仕事の合間の息抜きに、「ハゲタカ」という経済ドラマを見ていました。

話しの内容を簡単に説明すると、銀行に勤めていた主人公が、資金の貸し渋りで人を一人死なせてしまい、国外へ旅立ち!それから何年か経って、外資系ファウンドの日本法人代表となって日本に舞い戻り、会社の売買を進めていく話です。

要は、ドラマのタイトル通り、ハゲタカのように経済が落ち込んだ日本を食い尽くそうという話ですね。

 

ドラマの時代は、高度経済期を過ぎた日本。

バブルがはじけ、荒れ果てた日本の潰れかけの会社を安く買って、高く売って利益を出そうとするのが、この主人公の役割なのですが、その会社の買収に関係し、経営を続けていた会社の人間達の葛藤ぶりや、色んな想いが交錯するのがこのドラマの見所です。

 

いや、ドラマにしては、良く出来ています!

社会の現実も、その厳しさも、しっくりするほど腑に落ちました。

たったの全6話だし、無料視聴も出来ますので、是非見てほしいです!

 

で、その「ハゲタカ」の第四話なのですが、こんなシーンが出てきます。

とある大きな電機工場の会社が経営の傾きで、主人公率いる会社に買収され(実際この頃主人公は解雇されているが・・・)、それまでの終身雇用を軸とした経営が一新され、人員の大幅カットを余技されなくされます。

つまり、リストラです。

バブルがはじけた後の日本・・・、現実的によくあったような話ですね。

その時、大勢の社員が、

「ふざけんな!今まで必死に会社に尽くしてきたのに、解雇とはどういうことだ!経営者は責任をとれ!」

というようなことを一斉に叫ぶのです!

 

詳しく話すと、記事が長くなりすぎるので実際に見てほしいのですが、

リストラ=悪

のような図式で、会社の社員達はさも、自分たちは何も悪くない!というような口ぶりで経営陣に食って掛かります。

彼らからすると、真面目に働いてきたのに・・・、経営者が無能なせいでこうなったのに・・・、なぜ?お前ら経営者のミスで俺らが不当な解雇を受けなければいけない?

そんな気持ちの抗議を行うのです。

 

しかしです!

それを見ていて僕には非常に滑稽に映りました。

 

そんなの当り前だろう!何を怒っている?

 

これが僕の本心です。

とても、読者の方には嫌われそうですが、僕にはてんで同情の余地はありませんでした。

 

実際に会社を解雇されたこのある人間の僕です。

だから、会社を解雇されたことのある人間の痛みも一番分かっています。

でも、なぜ?このように会社からの一方的解雇に対して抗議する人間達を滑稽に思うのか?

その真意を今日は語ろうと思います。

本当にリストラは悪なのか?

僕が解雇された理由は、無料で配布している電子書籍の中に全て記述しています。

まぁ、冷静に見ても、結構不当です。

で、過去に僕も実際、会社側が憎かった。

 

けど、今はこう考えています。

 

「まぁ、しゃあないわな!俺が力不足だったんだ!」

 

と。

 

結局ですね、社会ってものは実力がないと何の意味もなさないのですよ。

力がなければ、重宝されないし、誰も認めてくれることはありません。

実際、このドラマの会社の中でも、技術力が高く買われた人々は他の外資に売り飛ばされそうになった時も、首を切られなかった。

さらに言えば、その会社は沈みかけだということが分かっていたのだから、解雇されそうな人間は「自分はこの会社に必要とされないだろうな!」ということを見越して他の会社へでも移れば良かった。

だから、実際に会社の経営が傾いて、他の出費者にとって代わられたから!と言って、自分の実力がないのを棚上げにして、不当だ!なんだ!という叫びはおかしいと思うのですよ。

 

よく、下層労働階級(差別的な言い方をして申し訳ありません)の人たちから出る言い訳がコレです。

 

「俺(私)は、頭が良くないから・・・」

 

なんですか、ソレ?

何の言い訳ですか?

自分は元々頭が悪いから、こういう仕事にしか就けないんだアピールですか?

で、解雇されそうになった瞬間、経営者はどうのこうの叫ぶんですか?

 

もうハッキリと言います!

会社を解雇されるくらいの実力しか身に着けられなかった、あるいは自分で上へ昇るための勉強をしてこなかった、アンタが悪い!

 

会社の本来の目的は利益を出し続けることです。

成長させ、株主を儲けさせなければなりません。

だから、赤字を垂れ流すような部署は潰さないといけないし、利益を生めないような人間を一生養っていく必要などないのです。

 

一般の人が抱える気持ちは良く分かります。

「一生安定して生きていきたい」、「折角、頑張って入った会社なんだから、守ってほしい!」、「こっちも身を粉にして働くから、そっちもそれなりの対応をしてよ!」

けどね、そうやって、感情だけで人を雇い続けていくと、人は大抵堕落していくもんなんです。

 

以前読んだ本で、名前は忘れましたがこんな実験結果があります。

ある一定の集団を作って活動させると、一時の時間が経過すると、その内の2~3割りはサボるようになる!

元々優秀な人間だけを集めて、そういった団体を作った実験も為されたそうですが、それでも、その内、何割かは落ちぶれて、何も成果を生まないようになったそうです。

 

つまり、会社というのは、人材を定期的にカットしていかないと、その一部が腐っていってしまうのです。

このドラマで持ち上げられた会社は、戦後の日本を代表するような会社で、「人を最も大事にする!」が信条の会社でしたが、そのせいで経営が圧迫しているのは、火を見るよりも明らかでした。

社会に情はほとんど必要ない!

とても悲しいことですし、言いたくないのですが、基本的に社会に対しての情は必要ないと考えています。

僕はとっても、情が好きだし、漫画とかで人間味のある感動シーンが最も大好きです。

でもですね、現実に置き換えたときは、情はほとんど邪魔なんですよ。

 

合理性:感情=8:2

 

これくらいでいいと思います。

先ほども言いましたが、僕は情が大好きな人間ではあります。

けど、実際は情を抜きにして、現実を直視し、物事の本質に迫りましょう。

そして、それを元に行動を決めるのです。

 

例えば、あなたが上司になった、沢山部下が出来た、人に仕事を振れる立場になった!としましょう。

ここで、情を持って、

「部下にこんなに大量の仕事を与えるなんて、可愛そうだな・・・」

と思って、自分が遅くまで残って仕事をしたとしましょう・・・

 

傍目から見て、自らが率先して動いていることで、とても部下想いの優しい上司に思えます。

でも現実的には?

  • 部下はいつまで経っても仕事を覚えない!
  • 仕事はいつまで経って進まない!
  • 自分はプライベートすら疎かになる!

こんなことが起こっちゃうと思います。

情を優先してしまったせいで、物事の本質である、会社に利益を生む!ということが出来なくなったのです。

 

これを会社に置き換えると、どうなるか?

「なるべく人を切らずに、終身雇用で雇ってあげよう・・・」

折角入ってくれた社員を、いつまでも大切に思ってくれる、心優しい経営者のように思えます。

が、現実はどうなるか?

  • 生産性が薄い人間が溢れてくる
  • 一部の利益を残せる人間に不満がたまる
  • 結局、足を引っ張る人間が増えすぎて、会社の経営が傾く
  • 外資や投資ファウンドに買収される
  • 下っ端人間は真っ先に解雇される

こんなことが起きてきます。

 

さらに国に置き換えると?

公務員を例にして考えましょう。

「公務員は国に仕える仕事だから、定期的な安定した給料を与え、年齢に応じた処遇を与えてあげよう・・・」

とても優しい国のように思います。

しかし、現実には?

  • 固定給だから、サボっても安定していると考える輩が沢山出てくる
  • 仕事が出来ないのに、階級ばかりが上になった上司が溢れかえる
  • 仕事が遅々として進まない。
  • 無駄な赤字がドンドン垂れ流される
  • 国の経営が傾く

まさにこれ、今の日本ですよね?

人のために、人のために!という言葉はとても聞き心地が良く、誰からも好かれるような印象を受けますが、実際には、身を滅ぼすほどの結果を生んでしまうのが、世の中の常というものです。

僕も、糞みたいな職場に最初派遣されてしまいましたが、結局、能力のなかった僕をあそこまで持ち上げたのですから、ある意味、あの時の上司の指導は正しかったかもしれません。

まぁ、辞めてしまっていますがね。笑

 

どんな組織にも、導入期、成長期、成熟期、衰退期というものが存在します。

導入期は、当然、事業を始めた初期のころ!

個人経営者や僕などがたぶんこれに辺り、それからしばらく経って、新しい人材などの登用によって会社や事業が成長していきます。

高度経済成長の際の日本がこの成長期ですね?

とても、経済が活発化されて、一番楽しい時期だと思います。

しかし、ある程度の成長を続けた組織というものは成熟期を迎え、やがて最後の衰退期へと突入していきます。

この導入、成長、成熟、衰退という四つのカテゴリーを、今の自分の存在している場所に置き換えた考え方!というものがとても重要なのです

 

むしろ、こういった時期を見抜けないのであれば、あなたは既に、その衰退期を助長する人間の一人だと考えたほうが良いでしょう。

そして、目の前の事柄にしか物事を判断することが出来ず、ギャーギャー騒ぎ立てるクソのような人間になるのです。

冷静に、感情に流されず、今自分がいる場所が正しいのか?自分がやっている行為は必要なのか?

そんなことを考えてみてください。

そうすればきっと、どんな時代が来ても、人に責任転換をしない、自分の人生に責任を持った、強い人間になれるはずです。

 

情とは何なのか?

さて、ここまで来ると、情というものの難しさに悩むことになると思います。

いくら合理性、整合性を突き詰めていっても、そこに人の心がないと、誰も付いてくることはありません。

どういった塩梅で、情を使えばいいのでしょうか?

 

・・・

 

すみません!結局、これに関しては答えを出せませんでした。

やっぱり人間それぞれだし、どうしても人間は感情に引っ張られやすい生き物だからです。

ただ、僕が一つ思うのは、信念に基づいた情だったらいいのではないか?という意見です。

 

先に考えるべきは、やはり、合理的な判断です。

でも、そこに自分の信念とそぐわないものが混じったとき、それは合理性を飛び越えた、感情を優先すべきです。

いくらあなたが目的としているゴールを手にしたとしても、それが自分の倫理に反したものだったら手放しで喜べないでしょう?

本当にギリギリの戦いの中で、判断に迷った際、僕はいつも最後は自分の素直な心に従って、行動を決断しました。

確かに、最悪な事態に陥ったことも沢山あったし、人にも迷惑を沢山かけた!

でも、自分の中には何か大事なモノを守れた!という誇らしさがあったのです。

 

僕が自分の書籍やいつも言っていた通り、自分の基準をまずは決定しましょう!

そして、それらは絶対に忘れないように、何か紙に残して、壁に貼っておきましょう・・・

そうすることで、理論と情との狭間で揺れた際、ある程度の自分の判断基準の目安になることと思います。

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コメント一覧

  1. てゅねひら より:

    情熱さんこんにちは。てゅねひらです。
    今回も記事を読ませていただき、思うことがあったので書かせていただきます。
    あ、例によってものすごく長くなる予定なので、お時間があるときに読んでいただければと。

    仕事の上では合理性と情は相反するもの、というように書かれていますが、個人的には共存するのかな、と思います。

    情熱さんが答えられなかったその情の塩梅なんですが

    合理的に情をかける、ということではないかな、と。

    ・・・

    あ、すみません。「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」的な発言でした。

    でも私の上司がまさにそのタイプでして。
    その上司、合理的じゃない話するとぶち切れるんです。
    話をしているとき、話の内容がスムーズに入ってこないと「あ”ぁ!?」となり、
    重箱の隅に何かあろうものならば顕微鏡で拡大して百連突き。
    話に矛盾があろうものなら2時間は拘束されます。

    と、まぁこんな感じでして、合理的であるかどうかが直接感情につながっているわけです。

    つまるところ、情というのは心のそこから思いをかけることと思います。
    愛する人に思いをかけるから愛情、友人に思いをかけるから友情、欲望のままに思いを解き放つから欲情、
    その思いを熱くするから情熱。

    で、私の上司の場合は会社に情をかけているのかと思います。
    会社を思うために合理化にうるさいし、後に会社を担うであろう若手には勉強のために厳しく接する、客先とはいえ会社に害をなすことには容赦がない。
    本当に出来る人です。
    実際私がまだ会社に残っているのはその上司からまだまだ学ぶことがあるからですし(下衆野郎)

    信念に基づいた情ならいいのではないかとのことでしたが、そう考えると、確かに「「悪い例」は、「今」だけの相手のための薄っぺらい情に思えるかもしれません。
    部下が「今」大変そうだから手伝ってあげよう、とか
    「今は」経営厳しいけど終身雇用を続けよう、とか。
    で、その分の負担は自分が背負う、と。

    でもそういう自己犠牲的な情って日本には昔からあるんですよね。
    たしか豊臣秀吉が本能寺の変の時に籠城戦を相手にしている真っ最中で、相手の城主は「今切腹すれば城内の人は助けてやる」という秀吉からの誘いに乗ってしまうし、
    徳川家康が江戸に逃げる際に、かなり大物の家臣がしんがり(追っ手を止める役。大体死ぬ)を務めてしまうし、太平洋戦争では玉砕してしまうし。
    そしてそういうのを美化してしまう風習が根強く残っているんですよね。
    その尊い犠牲のもとに大きなものが成し遂げられる、と。
    まるで一握りのヒーローがその他大勢の成果、命を搾取しているよう。
    どっかで聞いたような話ですね。

    もちろん、そういったことに生きがいを感じる人もいるかもしれないので人それぞれですが。
    結局信念次第なのかもしれませんね。

    ここまで読んでいただきありがとうございました。
    とある目標のために冗長な文章を直したいと思っていますが、やっぱり難しいですね。

    次回更新楽しみにしています。

    • zyounetu より:

      てゅねひらさん、コメントありがとうございます。

      う~ん、自分は、大体物事を考えるときは、情は外して考えますけどね・・・

      決まりごとやポイントを見つけて、それによって物事を判断し、そのあと、でも「あの人はこういうんじゃないかな?」とか、「こうやっちゃうと、こういう人が出てこないかな?」とか、情の部分を考えます。

      ただ、てゅねひらさんのおっしゃる通り、結局は、合理性と情は結びついているのかもしれません。

      今回の記事では、『情け』としての情が強く押し出されてしまいましたが、情にも色んなものがありますしね。

      何をもって情と考えるか?がそもそも難しいのかもしれません。

      いつも長文、ありがとうございます(^ ^)

      結構、てゅねひらさんの長文読むの楽しみにしています。

      これからも宜しくお願いしますね。

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